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2018年02月

2018.02.01

人の己を知らざることを患えず 人を知らざることを患う

穏和になったともっぱら評判の私ですが、瞬間湯沸かし器的な沸点は極限まで下がったものの、その分何とも言えない違和感、気持ち悪さを感じる瞬間が増えました。身の毛もよだつ感覚、到底受容できない感覚、いわば動物的本能です。ずるさやごまかしの匂いが漂う時、権威を振りかざす傲慢な空気に触れた時、自分は識者だと思っているのに謙虚を装っている人(衣の下に鎧を着ている人)と接した時、何かに憑依されたかのごとく、本能が呼び覚まされます。この人と自分は相容れないだろう・・・そう決めつけてしまう自分を我ながら小さいなあと反省しますが、瞬殺ゆえ中々矯正できません。「汚いものが見えるのは己が汚いからである」というどこかで目にした言葉が脳裏に浮かび、自分にもそんな一面があるから反応していることを実感します。


「人の己を知らざることを患えず、人を知らざることを患う」お客様から頂いた閑谷学校のカレンダーを毎朝洗い物しながら眺めています。「人が自分のことを評価してくれないと気にやむのではなく、自分が人の評価をきちんとできるようにすることを気にするべきだ」という解説文が横に書いてあります。自分が相容れないであろうその人がどんな背景でそうなったのか?その人がどんな人生を歩んできたのか?少し耳を傾けると、また違った声が聴こえてきます。本能だけで生きるなら、私が動物でなく人間に生まれてきた意味がありません。


ここ最近、一年くらいですが、こんな私でも、何気ない日常の中に良知が埋もれていることに気付いた時、得も言われぬ温かな気持ちに包まれます。そんなモードの時、周囲を見渡してみると、スタッフの誠実な横顔、不器用だけど懸命に生きている両親の背中、家族やお客様の笑顔、それぞれが誇りと尊厳を持ち光り輝いています。皆が何らかの事に当たりながら、魂を磨いている仲間であることを実感します。その時、一切の私心の雲は取り払われています。何かに執着していることを自覚したら雲が去ることがわかりました。そしてそのモードの時、私はすごく自然で満ち足りています。あとはそのモードの私でいられる時間を増やし、天からサポートを受ける人生を歩んでみたいと思います。今年中に、どこまでそのモードの時間を増やして行けるか、乞うご期待!ぜひ皆さんも私の変化を見守って下さい!

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