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2016年07月

2016.07.01

内助の功

私は今さらですが、お金に深く関わる仕事をしています。お金というフィルターを通して人を見ると、普段の言動とまるで違う方が結構いらっしゃるのが現実です。しかも、それが言行不一致だという自覚が全くないという方が多いのが大きな特徴です。倫理と法律が両輪でないことが、そもそもの問題ですが、「法律には違反していません、何がおかしいのですか?」という論理です。連日報道されている舛添都知事もその代表選手です。ニュースを見ていて辟易しているのは私だけでしょうか?厚顔無恥、もし自分の夫だったら、どんなことをしても良心に目覚めてもらいます。品性の欠落、相容れません。どんな立派な美辞麗句を並べ立てても、公私のけじめもできない卑しい人は決して信用できません。

 

職業柄、税務調査に立ち会うことが多いのですが、中小企業の社長の方が、よほど公序良俗の倫理観を持ち合わせておられ、お金にも綺麗です。最初は皆さん、「税金の使い道を正してくれないと、税金を払う気にならない」と口をそろえておっしゃいます。こんな時代、無理もありません。しかし、「それでは同じ穴の狢、鶏が先か卵が先か、人は変えることが出来ませんが、自分は変わることが出来ます。事を正すなら、まず自分から、良いことをして忘れる・・・従業員さんが見ていますよ。一緒に税金を払ってお金が残る資金の体質を創りましょう。」といった対話を繰り返す中、実直な中小企業の社長の面々は、少しづつ、少しづつ、変化を遂げられます。

 

お金はどんな嘘発見器よりも精巧な良心探知機です。勘違いしがちですが、お金は自分の手元にありながら、それは今だけの事。今留まってくれているだけです。世間様からお預かりしているだけ、金は天下の回り物とはよく言ったものです。

世界に目を向けると、日本ではあまり報道されませんが、世界を震撼させているパナマ文書の問題、寄付行為をしたり顔で公表しながら、私的法人へ財産を移管する大物企業家たち。世界の要人たちがこぞって合法的に税金逃れ、なぜ人はこうまでして得をしたいのでしょうか。世界的に道徳と倫理観が失われています。人類の叡智は更なる善の創造に使われるべきであり、姑息な目的に使われるべきではありません。

 

私は常々、父から、「人間は死んだとき、自分のやってきたことについて、えんま様から裁きを受ける、お天道様が見ている、内助の功を心がけなさい」と聞いて育ちました。今から思えば、えんま様は自分自身です。妻が夫を助けるという、小さな内助の功に囚われるのではなく、諸行に対し、私心を捨てて内助の功を心がけなさいと言われていたのかもしれません。世に惑わされず、自分自身に恥ずかしくない、まっとうな毎日を積み重ねてゆきたいと思います。

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