2017.08.01
唐突ですが、私は自分が100歳で長寿を全うすることを知っています。もっとも、私が100歳になった時には、100歳は長寿ではなく平均寿命になっているかもしれませんが・・・ちょうど50歳になった去年辺りから、生きる情熱というか、エネルギーの質が変わってきた気がしてなりません。車に例えたら、シフトをトップギアからロウに落としたような、良い表現をすれば、穏やかになった、優しくなったとも言われます。
しかし、自分自身の本当の気持ちは、全力疾走せず力を抜いて走っている・・・何やら怠けて手を抜いているような、妙な後ろめたい感覚に時折襲われます。今までは、休むことなく、憑き動かされるように働き続けてきたのですが、最近では、家族の重要性を実感したり、地球の未来と繋がっている自分を内観したり、本当の幸せとは何か?そんなことを静かに考える自分に驚愕の思いでいっぱいです。数年前までは、志に向かって邁進こそ、充実した人生、死んだら永遠に眠れる、そんな風に考えていた自分の心の変化を咀嚼できずにいました。
そんな折、先日、久々に聞いた「中年の危機」という言葉に、自分の心を見透かされたような感覚に陥りました。多くの人々が、人生の折り返し地点で、これからの生き方や自分の存在意義について思い悩み、今まで価値があったものに対し、価値を見出せなくなり、今までの生き方に関心を失い始めるそうです。しかし、これをうやむやにせず、この危機に正面から向き合い、これを乗り越えると、新しい可能性や創造性への飛躍の扉が開かれるそうです。故に、中年の危機は意義深い停滞とも言われているそうです。
今、私の最大の喜びは、「お父さん、調子いいよ~」という、母からの嬉しそうな電話です。恥ずかしながら、私は、母の報告に一喜一憂しています。父は末期の肝臓癌で、母が自宅で看取ることを決意したのです。晩年に差し掛かり、晩節を汚す勢いだった父と母が、二人で最後の魂磨きをしている誠をつぶさに見せつけられ、人間にとってこれ以上尊いことがあるのかというカルチャーショックが、私の心の変化の最大の要因です。
父と母の魂磨きに触発され、私と妹も、つべこべ言わず顔を見に行き、泊まれるときは泊まります。一日最低5回は来て下さる介護の方々も天使の様な笑顔です。ご近所さんは、母をねぎらい、交代で毎日夕食を作って母に届けてくれます。まるで魂磨きのチームです。
父は自分の命の限り、私が一皮むけるよう、私に何かを教えようとしてくれています。お陰様で、私は中年の危機を乗り越えることが出来そうです。いざ、慈愛の人への新しい扉を開き、一歩前へ!!前進あるのみ!!