2010.11.01
経営者になってほどなく、自分の克服すべき性分と対峙しました。
当たり前ですが、本能のまま経営してゆくことは心底難しい…その性分を克服しようと、私はこの2年間、偽物の自分を人格者への成長と偽り、本質と向き合わず時を過ごしました。瞬間的に激昂する生まれつき短気な性分を、根本的に拓かれたものに変遷させることなく、我慢することで、距離をおき、差し障りのない関わりを保ってきました。
しかし、それは自分の魂に嘘をつき、ごまかすこと…。魂は濁り始め、輝きを落としました。
ある本の中で盤珪禅師の話を読みました。
「私は短気で師匠にも意見をされておりますがなかなか直りません。これはいかんと思い努力はしておるのですが生まれつきで何ともなりません。どうすれば直りましょうか。」とある僧から質問されます。
禅師いわく 「あなたは面白いものをもって生まれついたものだ。それなら今ここに短気とやらを出しなさい。直してしんぜよう。」
僧いわく 「今はございません。ひょっとした拍子に短気が出ます。」
禅師いわく 「それなら短気は生まれつき持ち合わせているものではない。」
読んでハッとしました。まず生まれつきなどと言うこと自体、親への責任転嫁。すべて自分自身の責任です。 どうしようもない自分を認めて、受け入れて、それを土台にして積み上げ拓いていくしかありません。そういう自分が無いかの如く生きることは偽善です。
偽善に逃げるのではなく、「我」の囚われから根本から解放されるよう努力すること 。“知恵あるものに怒りなし…”
まずは反省という自己弁解から一歩踏み出します。短気な性分を直すのではなく、伝えることの崇高さを今一度認識すること 。
魂を売るか売らないか…。ギリギリのところまでお客様と向き合う、祈りにも似た思いは、小手先で伝えられるはずもありません。
我慢して偽善者になり、猫なで声で伝えるのでなく、良心のある未熟な者を導くこと 。
小さな丸い石になっても一流にはなれません。職人道を貫くために、自らが稚心をすてて孤独な精神修行を終了させます。“使命を果たすための事務所経営”、経営を守ることが使命ではありません。もう一度原点に立ち戻り、職人道を貫きます。
大欲清浄は独裁でよい…もう迷いはありません。