2009.09.01
仕事をしていて一番うれしいことは、「お客様に自分の真心が通じたとき」です。逆に、仕事をしていて一番哀しいことは、「自分の真心が届かなかったとき」です。
仕事の経験を積めば積むほど、物事の本質を伝える難しさが増します。未熟であれ、お客様を思う気持ちに決して嘘はありません。
「真心が届かない理由は何であるか・・・」
本質はシンプルなはずですが、それぞれの私心が様々な感情のひだをまとい、物事を複雑にします。自己と他者の対立には必ず私心が介在します。
神様が与えて下さる問題に、自身の人格の成長が追いついていないのか、それとも語彙の不足、言葉足らずによるものか。言葉が心から唱えられるとしたなら、語彙の不足は心の不足ともいえます。いずれにしろ安易な解決策は存在しません。
あるものを認識しない人にとっては、そのものは実在しないといいます。共通認識が存在しない以上交わることはありません。
「御縁がなかった・・」そんな言葉が脳裏に浮かびます。
しかし縁は決して他力本願のものではないと思います。
学ぶことと年齢を重ねることでしか人は変わることができません。知らないことは恥ではありませんが、知ろうとしないことは恥です。
感謝欠乏症が増幅している社会において、感謝神経を磨くこともその御縁を手繰り寄せる方法の一つではないでしょうか。
自らの苦言を聞き入れていただくには相手に対し誠を持たなくてはなりません。通じないのは、相手の誠が足りないのか、己の誠が足りないのか・・万事足るを知る、相手に誠の不足を責めたてても何の解決にもつながりません。
「万人の奥底には “良知”という善なる心が等しく息づいている」、その言葉を繰り返し、繰り返し、常に自問自答し、真言といえるまで、心を磨くしかありません。
容易でないからこそ、精進する意味が人生にはあるのではないでしょうか。