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所長の一言

死生観のようなもの

date:20161101
先日、記念すべき50歳の誕生日を迎えました。

奇しくも事務所の合宿初日と重なったのですが、まるで命の源泉に直接充電するかのような、穏やかで優しい誕生日となりました。今までたくさんの誕生日を迎えてきましたが、記憶に残る限り、最も慈愛に満ちた誕生日でした。
中でも一番うれしかったのは、スタッフのみんなと、「心に残るありがとう」というタイトルの作文を順番に発表しあったときのことです。一人ひとりの作文の中に綴られたスタッフの優しさと愛があふれて、森の会議室に入りきれないほど充満しました。文章のうまい下手を超えた真心の波動です。

私が生まれるずっと前から、喉から手が出るほど欲しかったものが、この慈愛だと気づきました。他には何もいりません。まぎれもなく、お互いを護り、高めるために、人知を超えた神の計らいにより、参集している・・・もっとお互いを信じなさい、関わりなさい、自分が必要とされていることを知りなさい。一人ひとり生まれてきたことに意味があり、生きていること自体が生きている意味、一人ひとりが魂を高め、生かされている意味を知り、感謝で地球を満たすことが生まれてきた意味かもしれません。

こんな風に感じるようになったきっかけがあります。
50歳の節目に当たり、立て続けに、身近で大切な人の死に遭遇したからです。死が現実のものと認識され、リアルな死生観のようなものをイメージするようになりました。
「中尾さんは何歳まで生きる?」と問われた時、率直に百歳と頭に浮かびました。百歳まで生きたとしたならば、ちょうど50歳は人生の折り返し地点、改めて何のために生きるのかを考えることが多くなりました。

今、素直に私がすべきことは、自分の心の中の茨を取り除くこと、茨を取り除いたそこには本当の私がいます。怠けることなく自分にそそぐこと、もし自分が怠けていると感じるならば、自分を大切にすることに怠けているということ。茨の中にいては何もできません。私は今まで社会の役に立ちたい、そのためにシャカリキに私が進化しなければならない、そんな良心病に取りつかれていました。その思いに嘘はありません。ただ、自分を赦さない人間が人を赦せるはずがありません。人を赦さぬ人間が社会の役に立てるはずなどありません。人は不完全なもの、人を赦し、自分を赦し、慈愛に満ちた人生を歩みたいと思います。

「私は幸せだった」と最後に思える人々に満ちた、感謝と慈愛の星を、将来世代に遺したいと思います。
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